ikusanno blog

S43年生まれikusanの、過去や日々の諸々を放流しております。

習い事で得られるもの…

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バンドマンだった父あきサンは、

あわよくば親子セッションをしたかった。(^◇^;)

が、しかし、子供達には興味も才能もなかったー。

私はとにかく、楽器操作ができひん。

手が小さくて指が短い、その上緊張しぃだもんで、

人前で発表なんて、もぉね(^◇^;)真っ白

 

お習字も上達しなかったなー

ただ、基本みたいなもののおかげか?

大人になって、何故か多少マシに…

以前、専門学校(デザイン)の先生に

「デザインやる人間は字も上手くなれ、いや、

ならなアカン!」的なことを言われ、

せっせと練習したのもあると思う。

アナログ時代やからね、指示出しとか、

文字のキレイさは割と重要やった。

 

習い事て、

それが自分の人生を決めちゃうような

ことになる人もいるやろし、

親の期待が大き過ぎて

逆にトラウマになってる人もいる、

 

そう思うと、たかが習い事といえど、

子供の場合、何をするか、何と出会うか、は

すごく大きな意味を持ちますね。

 

残念ながら当時「楽しい!」と思える習い事には

出会えなかった。どちらかといえば

イヤイヤ通ってたんだけど、

「何か」に出会うキッカケを

与えようとしてくれてた親の愛かなと思うと

嬉しい気持ちになります。

実際、お金もかかるわけやしね。

 

才能は見いだせなかったが…(^◇^;)

でも、そぉいう「想い」「愛情」を自分の中に

「残せた」というだけでも習い事が出来たのは

ありがたい経験や、と思う。

うん、無駄ではなかった、と思う。

 

「感謝」の気持ちが得られることは

何にも変えがたい人生の宝やからね。

 

 

 

右往左往してた女子も、いつかは…

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毛深いだの、足が太いだの、頭がでかいだの、

眉が繋がるだの、若い頃の悩みのナント多いことよ。

もちろん私も…

オチビだし、美人でもない、足は太い、剛毛、

頭も良くない、太くて短い指や首…

もぉーチンチクリンで(^◇^;)

 

とはいえ、そこは「りこサン」に似たのか?

根拠のない自信があって、

その内、美人になるて思てたわ (^◇^;)ナンデヤ

もちろん、そんな変身はなかったが。

 

オンナノコ達の、「理想の姿を目指す」

あの熱量はどこからくるんでしょうね。

とりあえず、皆んなと一緒であれば、

間違ってない、外れてない、という

安心感が得られたから、必死でついてく。

流行とか、毎年変わるのやめてほしかったー

 

が、私ももはや50代!多少は人目も気にしますが、

以前ほど「人にどう見えるか」「人はどうしてるか」

ということは気にならなくなってきた。

 

基準が「自分」になったことで、他人ではなく

自分の価値観、美意識、好みだけが

様々な選択のベースになるからね。

そりゃ 楽よー! 

もう、何が流行ろうが、何を勧められようが、

自分に合う・合わん、出来る・出来へん、は

経験で分かるからねー

数々の失敗の賜物よー

買い物も早よなるよー

人の意見きかへんよー

 

歳を重ねることで自分いうものがハッキリしてくる。

他人との違いに慌てることも無く、

自分を見つめることが多くなるから、

人とのコミュニケーションも若い頃より楽に!

 

ま、暑苦しく頑張る時代があってこそと思うから

若いみなさんは、存分に、理想やオシャレに

挑んでください。

 

そしてはよ、こちら側に…( ̄∀ ̄)

めくるめくオバハンの世界を、

ぜひ楽しみにしててくださいよ。

思ってるよりエエ思いますよ ( ̄ー ̄ )多分。

 

 

 

 

 

 

 

 

不快になる言葉

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私の「うっそー」の一番古い記憶は、80年代、聖子ちゃんや伊予ちゃん、キョンキョンなどが大活躍してた、アイドル全盛期の頃だったかな。

テレビから聞こえてきた「うっそー、やだー」がそんまま流行ってたように思う。

 

りこサンはこの言葉が大嫌いで、よく怒ってたけど

そん時は怒る意味がまったくわからなかった。

まぁ、そのまま受け止めれば

「疑い」を意味する言葉やし、そりゃそうか、

とも思うけど、

自分としては単に「驚き」を表現してたから…。

 

ただ、今はまったく気にならなくなったようで、

自分でも使うことがある、りこサンです。(^◇^;)

 

そして今、私にも苦手な言葉がある。

「はっ?」です。

聞き取れない時の「は?」とか

何言ってんの?の「は?」やね

相手を見下してる感じがしたり、

戦闘的な、否定的な印象があるんですよねー

「ハッ」とか「ワッ」とかの破裂音?って

噴き出す人の感情を、モロに受ける感じもあるし、

恐怖感みたいなものが生まれるのかな…(^◇^;)

そーか、使い方の問題なんか、わからんけど

受け取った方は、いい気しーひんね。

「もう一度言ってください」とか

「どういう意味ですか」って“言葉”で

受け取るのとは、ずいぶん印象が違う。

どうせなら「へっ」のほうが、コミカルで

いいんやけど (^.^)どう?

 

おそらく、当時の私のように特に悪気もなく、

つい出てしまうんかな?、とは思うけど、

受け手にとっては、人の気持ちを推測する

材料でもあるし、気をつけよー思います。(^ ^)

 

贈り物としての言葉で

相手を不快にしないために。

 

いつか、りこサンみたいに、気にならなくなるでしょうかねー?

 

 

 

 

いろんな「生きモノ」で学んできた

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子供はいろんなモノ拾ってまう。で持ち帰る。(^◇^;)

私もよう拾ってましたわ。

 

昔は「犬」も「猫」も野良がたくさんいてて、

拾っては怒られて、捨てに行くことに…

捨てるのはメッチャ悲しいってことを学んだな。

後ろ髪ひかれてしゃーないし、泣ける。

必ず「捨ててこい!」言われることも学ぶから

拾うの我慢するようになった。

 

巣から落ちた「雀」はケージに入れて

ベランダに出しとくと、速攻で親鳥が気付いて

ちゃんと連れ帰ってた。

鳥て、子供を見分けるんや⁉︎ってチョット感動。

かわいかったナー。

 

かわいかったと言えば、「コウモリ」!

ブタ鼻が愛嬌たっぷりで。(*^ω^*) 

コウモリの多い街だったんですよ、地元。

夏の夕方、いっぱい飛んでた。

手の届きそうな低空飛行、すごいスピードやし

捕まえたりはできひん。

ケガしたコが落ちてて、連れ帰ったけど

あっという間に死んでしもた。

でもその時から「コウモリ」=「可愛い」になった。

 

あとー拾わへんけど、「アリジゴク」と「アリ」は

触ったり、観察したりするん好きだったな。

蟻地獄の罠にアリを投入してみる…。

(砂の中に持ってかれる蟻を見る…蟻ゴメン)

そして定番の水攻め、砂攻め…。

どんな攻めにも必ず復活してくる根性を学ぶ。

そして、アリだって怒る、

アリにかまれると痛い、と学ぶ。

 

「ミノムシ」は着飾って楽しんでた。

蓑からひっぱり出してー、

ちぎった色紙とかを入れた箱に入れてー、

カラフルなミノムシ君に…。

ただ、丁寧に出してやらないと死んでまう、

育ったら羽が生え飛ぶ、と学ぶ。

 

不器用な手先で、扱いが悪いし、

命を奪ってしまうことも多かったけど、

ひとつひとつの経験が「学び」やった思います。

田舎育ちやから余計に多かったとは思う。でも

大阪のビジネス街でも、子供が虫取り網とか

持ってるの見ることがあります。

生き物の命を学んでるな!と、微笑ましく思う。

どんなところに住んでいようと、

小さな命はたくさんある思うから、

その関心や興味を、たっぷり満たして欲しいものです。

そんで、その興味を育てて博士とかになって、

未来の社会に役立ててくださいっ!

(ええ!他力本願です。)

 

しかし、いつからだろう?

この小さな虫を触れなくなったのは…

いつから「怖い」と思うように…なったかな?

思春期くらいやろか?

経験によって、好奇心や天真爛漫さ、無邪気さを失い、

危機管理、予測、自己防衛、みたいなもんに変わった

いうことなんでしょうね。

賢くもなったけど、弱虫にもなったゆーことかな。

 

あ、子供だろうが、大人だろうが、

蜂の巣を落とすと追いかけられる、ゆー経験は、

お勧めしません…(;・∀・)アレは怖い。

ちなみに蜂に頭を刺されると

「くらくら」して「はきけ」がして、

ご飯が食べれませんでした。(;^_^)

 

 

 

もしも〜を考えてしまうクセ

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未来のことなんて考えたかって、しょうがない。

とは思うんですよ? 思う、けど!

考えれる範囲で対策できるなら、

やっとこかなー とも思う。

 

「人に迷惑かけず、ひとりで、ちゃんと自分の人生を全うする」

コレ私の人生の最終目標。

まぁ未来のことはわからんけれども、

可能性として一人の確率は高いし、

住む家決める時も、一生ひとりで暮らしきれるか⁉︎  が

ポイントのひとつでもあった。

足腰立たんくなっても、車イスでいけるか?

周辺に店は充実してるか? 病院は?

考慮することはいろいろある。

 

そのひとつに目見えんくなったら…ゆーんもあって、

コレは大変そう。(-.-;)

で、たまにな、家の中、目つむってウロウロ?

してみるねん (^◇^;)

まぁホンマにそんな事になったら、

サポートしてくれる人、頼んだりするんやろうけど、

家の中くらい?完璧に動きたいな、思いますやん?

意外と同じように考えてる人、いるん違うかな?

いや、結構いる思うなぁ ( ̄∀ ̄)せやろ?

 

目見えへんと、どんな風に時間を過ごすんか…

絵は描けへんね、ブログも書けへん、読めへん。

でも、陶芸や粘土で土の感触を楽しんだり、

耳聞こえたら、いろんな音、楽しんだりできるんかな?

想像もできひんような、いろんなことあるんやろね。

 

やけど…認知症はアカン、どう考えても迷惑かけるなー

(ーー;)何をどう準備すればいいのか…

どうか、いい薬が開発されますように。

( ̄ー ̄)医療費の準備か…

 

ボッチの年寄りになった自分が、

もしかすると、どっか不自由を抱えた自分が、

楽しく、自分の人生を全うするために出来ること、

ついつい考えるん、もはやクセみたいなものです。

家族と暮らしてはる人も、そんなん考えるんやろか?

 

人には「実際に起こってること以上のことを

心配するなんて、やめときやめときー」ゆーて

自分は不毛な心配してる (^◇^;)

なんか恥ずかしーし、こっそりやってます。

 

 

 

 

50歳記念旅行〜久しぶりの再会

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行ってきましたよ。

学生時代の仲良し4人組の記念旅行。

キャピキャピした、おばさんの旅行ですよ。

以前は年1回くらいは集まってたけど、

生存地域が変化したりして会えてなかったから

4人で会うのは8年ぶり、くらい。

 

普段、会わない友人に会った瞬間の衝撃。

年々、大きくなりますよ。

時の流れが速くなるように、それはもう!

すごい加速です。

今年のHONDAもびっくりですわ!(F1ネタ)

が、不思議とひと言話せば一気に昔のまんま。

まるで昨日も会ってたように… (^ ^)

 

実を言うと旅行の直前、乳がん再検査の結果が

あって、少しドキドキしてたんです。

結果は良性で (*'-'*)ホッ

ただ、どんな結果が出ても、この旅行は

最初から最後まで笑って過ごすぞっ!

笑い転げるぞ! 笑い死ぬぞ!て、

ホント楽しみにしてた。

実際、ずっと笑ってた気がする。(;・∀・)

 

けど、それぞれ会ってなかった時の話なんか

聞くと、全員がなんらかの手術してたりして

50って、そういう年齢なんだなと実感。

何年経っても同じように楽しいけど、

身体は同じじゃないんだよね。そう考えると、

こうして元気で会えるんてスゴイことや!

「ありがとう!」って、思わずゆーてまうわ!

( ̄▽ ̄;)(誰に⁉︎)

 

せやし(?)次の旅行計画して解散しましたよ。

今度はもっと早く会えそうやし、

おばさんの加速は止められへんけど、

次は気づいてもらえるよう、

コンディション整えとこー思います。(^◇^;)

幸せは、習慣の積み重ねが運んでくる

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ちょっとした事で、習慣はコロコロ変わります。

最近の私の朝は、トーストとカフェオレ。

ちょっと前はヨーグルトと果物。

その前は、スープ。と、自分のブーム次第。

 

少し前に、友人が

「ikusan、朝はスープやったやんな!」と

おススメスープを紹介してくれたのだが、

既にブームは変化していたので、そう言うと、

何となく、憤慨したようでした (^◇^;)

せっかく教えたったのにー ( *`ω´)

といった感じなんかな?

ごめんなさいね、飽き性で…(^◇^;)

 

でも変化が苦手な人って多いよね、私もです。

というか、

生き物なら、本能的に普段との違いを感じると

身構えるものではないか?と、思うのですが…

どうでしょう。

「変化なんてまったく怖ない」という

強者っぽい人もいますが、強がりに違いない!

これはどちらかというと、

考え方の習慣がポジティブなのではないか…。

ついつい、悪い結果を思い描くことは

危険回避のためには、有効な場合もあるけどね。

私なんて、石橋たたきすぎて壊したやん!て

なるくらい、ヘタレなんで(^◇^;)

変化がある時は、身構えるなー。

 

とはいえ、続けてる習慣があまり良くないものなら、

どんどん変えていけばいいよね。(^^)

他人のことや、過去のことは変えられへんけど

自分のこと、自分の未来は、変えられるんやから。

日々の(自分の)考え方や行動の積み重ねが

自分の人生を作ってくんやから。(^_−)−☆

 

とりわけ、何気ない日常の中にある習慣は

特に意識せずやってることが多いし、

少し、見直してみると大きく変わるかも。

食べること、寝ること、動くこと、話すこと、

考えること、表現すること、働き方、反応のし方、

時間の使い方、人との接し方とか?

いろいろありますね (^◇^;)

 

自分の積み重ねる習慣によって

自分と自分の目の前にいる人が、幸せであれば

人生としては100点と違います?(^◇^)