習い事で得られるもの…
バンドマンだった父あきサンは、
あわよくば親子セッションをしたかった。(^◇^;)
が、しかし、子供達には興味も才能もなかったー。
私はとにかく、楽器操作ができひん。
手が小さくて指が短い、その上緊張しぃだもんで、
人前で発表なんて、もぉね(^◇^;)真っ白
お習字も上達しなかったなー
ただ、基本みたいなもののおかげか?
大人になって、何故か多少マシに…
以前、専門学校(デザイン)の先生に
「デザインやる人間は字も上手くなれ、いや、
ならなアカン!」的なことを言われ、
せっせと練習したのもあると思う。
アナログ時代やからね、指示出しとか、
文字のキレイさは割と重要やった。
習い事て、
それが自分の人生を決めちゃうような
ことになる人もいるやろし、
親の期待が大き過ぎて
逆にトラウマになってる人もいる、
そう思うと、たかが習い事といえど、
子供の場合、何をするか、何と出会うか、は
すごく大きな意味を持ちますね。
残念ながら当時「楽しい!」と思える習い事には
出会えなかった。どちらかといえば
イヤイヤ通ってたんだけど、
「何か」に出会うキッカケを
与えようとしてくれてた親の愛かなと思うと
嬉しい気持ちになります。
実際、お金もかかるわけやしね。
才能は見いだせなかったが…(^◇^;)
でも、そぉいう「想い」「愛情」を自分の中に
「残せた」というだけでも習い事が出来たのは
ありがたい経験や、と思う。
うん、無駄ではなかった、と思う。
「感謝」の気持ちが得られることは
何にも変えがたい人生の宝やからね。
右往左往してた女子も、いつかは…
毛深いだの、足が太いだの、頭がでかいだの、
眉が繋がるだの、若い頃の悩みのナント多いことよ。
もちろん私も…
オチビだし、美人でもない、足は太い、剛毛、
頭も良くない、太くて短い指や首…
もぉーチンチクリンで(^◇^;)
とはいえ、そこは「りこサン」に似たのか?
根拠のない自信があって、
その内、美人になるて思てたわ (^◇^;)ナンデヤ
もちろん、そんな変身はなかったが。
オンナノコ達の、「理想の姿を目指す」
あの熱量はどこからくるんでしょうね。
とりあえず、皆んなと一緒であれば、
間違ってない、外れてない、という
安心感が得られたから、必死でついてく。
流行とか、毎年変わるのやめてほしかったー
が、私ももはや50代!多少は人目も気にしますが、
以前ほど「人にどう見えるか」「人はどうしてるか」
ということは気にならなくなってきた。
基準が「自分」になったことで、他人ではなく
自分の価値観、美意識、好みだけが
様々な選択のベースになるからね。
そりゃ 楽よー!
もう、何が流行ろうが、何を勧められようが、
自分に合う・合わん、出来る・出来へん、は
経験で分かるからねー
数々の失敗の賜物よー
買い物も早よなるよー
人の意見きかへんよー
歳を重ねることで自分いうものがハッキリしてくる。
他人との違いに慌てることも無く、
自分を見つめることが多くなるから、
人とのコミュニケーションも若い頃より楽に!
ま、暑苦しく頑張る時代があってこそと思うから
若いみなさんは、存分に、理想やオシャレに
挑んでください。
そしてはよ、こちら側に…( ̄∀ ̄)
めくるめくオバハンの世界を、
ぜひ楽しみにしててくださいよ。
思ってるよりエエ思いますよ ( ̄ー ̄ )多分。
不快になる言葉
私の「うっそー」の一番古い記憶は、80年代、聖子ちゃんや伊予ちゃん、キョンキョンなどが大活躍してた、アイドル全盛期の頃だったかな。
テレビから聞こえてきた「うっそー、やだー」がそんまま流行ってたように思う。
りこサンはこの言葉が大嫌いで、よく怒ってたけど
そん時は怒る意味がまったくわからなかった。
まぁ、そのまま受け止めれば
「疑い」を意味する言葉やし、そりゃそうか、
とも思うけど、
自分としては単に「驚き」を表現してたから…。
ただ、今はまったく気にならなくなったようで、
自分でも使うことがある、りこサンです。(^◇^;)
そして今、私にも苦手な言葉がある。
「はっ?」です。
聞き取れない時の「は?」とか
何言ってんの?の「は?」やね
相手を見下してる感じがしたり、
戦闘的な、否定的な印象があるんですよねー
「ハッ」とか「ワッ」とかの破裂音?って
噴き出す人の感情を、モロに受ける感じもあるし、
恐怖感みたいなものが生まれるのかな…(^◇^;)
そーか、使い方の問題なんか、わからんけど
受け取った方は、いい気しーひんね。
「もう一度言ってください」とか
「どういう意味ですか」って“言葉”で
受け取るのとは、ずいぶん印象が違う。
どうせなら「へっ」のほうが、コミカルで
いいんやけど (^.^)どう?
おそらく、当時の私のように特に悪気もなく、
つい出てしまうんかな?、とは思うけど、
受け手にとっては、人の気持ちを推測する
材料でもあるし、気をつけよー思います。(^ ^)
贈り物としての言葉で
相手を不快にしないために。
いつか、りこサンみたいに、気にならなくなるでしょうかねー?
いろんな「生きモノ」で学んできた
子供はいろんなモノ拾ってまう。で持ち帰る。(^◇^;)
私もよう拾ってましたわ。
昔は「犬」も「猫」も野良がたくさんいてて、
拾っては怒られて、捨てに行くことに…
捨てるのはメッチャ悲しいってことを学んだな。
後ろ髪ひかれてしゃーないし、泣ける。
必ず「捨ててこい!」言われることも学ぶから
拾うの我慢するようになった。
巣から落ちた「雀」はケージに入れて
ベランダに出しとくと、速攻で親鳥が気付いて
ちゃんと連れ帰ってた。
鳥て、子供を見分けるんや⁉︎ってチョット感動。
かわいかったナー。
かわいかったと言えば、「コウモリ」!
ブタ鼻が愛嬌たっぷりで。(*^ω^*)
コウモリの多い街だったんですよ、地元。
夏の夕方、いっぱい飛んでた。
手の届きそうな低空飛行、すごいスピードやし
捕まえたりはできひん。
ケガしたコが落ちてて、連れ帰ったけど
あっという間に死んでしもた。
でもその時から「コウモリ」=「可愛い」になった。
あとー拾わへんけど、「アリジゴク」と「アリ」は
触ったり、観察したりするん好きだったな。
蟻地獄の罠にアリを投入してみる…。
(砂の中に持ってかれる蟻を見る…蟻ゴメン)
そして定番の水攻め、砂攻め…。
どんな攻めにも必ず復活してくる根性を学ぶ。
そして、アリだって怒る、
アリにかまれると痛い、と学ぶ。
「ミノムシ」は着飾って楽しんでた。
蓑からひっぱり出してー、
ちぎった色紙とかを入れた箱に入れてー、
カラフルなミノムシ君に…。
ただ、丁寧に出してやらないと死んでまう、
育ったら羽が生え飛ぶ、と学ぶ。
不器用な手先で、扱いが悪いし、
命を奪ってしまうことも多かったけど、
ひとつひとつの経験が「学び」やった思います。
田舎育ちやから余計に多かったとは思う。でも
大阪のビジネス街でも、子供が虫取り網とか
持ってるの見ることがあります。
生き物の命を学んでるな!と、微笑ましく思う。
どんなところに住んでいようと、
小さな命はたくさんある思うから、
その関心や興味を、たっぷり満たして欲しいものです。
そんで、その興味を育てて博士とかになって、
未来の社会に役立ててくださいっ!
(ええ!他力本願です。)
しかし、いつからだろう?
この小さな虫を触れなくなったのは…
いつから「怖い」と思うように…なったかな?
思春期くらいやろか?
経験によって、好奇心や天真爛漫さ、無邪気さを失い、
危機管理、予測、自己防衛、みたいなもんに変わった
いうことなんでしょうね。
賢くもなったけど、弱虫にもなったゆーことかな。
あ、子供だろうが、大人だろうが、
蜂の巣を落とすと追いかけられる、ゆー経験は、
お勧めしません…(;・∀・)アレは怖い。
ちなみに蜂に頭を刺されると
「くらくら」して「はきけ」がして、
ご飯が食べれませんでした。(;^_^)
もしも〜を考えてしまうクセ
未来のことなんて考えたかって、しょうがない。
とは思うんですよ? 思う、けど!
考えれる範囲で対策できるなら、
やっとこかなー とも思う。
「人に迷惑かけず、ひとりで、ちゃんと自分の人生を全うする」
コレ私の人生の最終目標。
まぁ未来のことはわからんけれども、
可能性として一人の確率は高いし、
住む家決める時も、一生ひとりで暮らしきれるか⁉︎ が
ポイントのひとつでもあった。
足腰立たんくなっても、車イスでいけるか?
周辺に店は充実してるか? 病院は?
考慮することはいろいろある。
そのひとつに目見えんくなったら…ゆーんもあって、
コレは大変そう。(-.-;)
で、たまにな、家の中、目つむってウロウロ?
してみるねん (^◇^;)
まぁホンマにそんな事になったら、
サポートしてくれる人、頼んだりするんやろうけど、
家の中くらい?完璧に動きたいな、思いますやん?
意外と同じように考えてる人、いるん違うかな?
いや、結構いる思うなぁ ( ̄∀ ̄)せやろ?
目見えへんと、どんな風に時間を過ごすんか…
絵は描けへんね、ブログも書けへん、読めへん。
でも、陶芸や粘土で土の感触を楽しんだり、
耳聞こえたら、いろんな音、楽しんだりできるんかな?
想像もできひんような、いろんなことあるんやろね。
やけど…認知症はアカン、どう考えても迷惑かけるなー
(ーー;)何をどう準備すればいいのか…
どうか、いい薬が開発されますように。
( ̄ー ̄)医療費の準備か…
ボッチの年寄りになった自分が、
もしかすると、どっか不自由を抱えた自分が、
楽しく、自分の人生を全うするために出来ること、
ついつい考えるん、もはやクセみたいなものです。
家族と暮らしてはる人も、そんなん考えるんやろか?
人には「実際に起こってること以上のことを
心配するなんて、やめときやめときー」ゆーて
自分は不毛な心配してる (^◇^;)
なんか恥ずかしーし、こっそりやってます。
50歳記念旅行〜久しぶりの再会
行ってきましたよ。
学生時代の仲良し4人組の記念旅行。
キャピキャピした、おばさんの旅行ですよ。
以前は年1回くらいは集まってたけど、
生存地域が変化したりして会えてなかったから
4人で会うのは8年ぶり、くらい。
普段、会わない友人に会った瞬間の衝撃。
年々、大きくなりますよ。
時の流れが速くなるように、それはもう!
すごい加速です。
今年のHONDAもびっくりですわ!(F1ネタ)
が、不思議とひと言話せば一気に昔のまんま。
まるで昨日も会ってたように… (^ ^)
実を言うと旅行の直前、乳がん再検査の結果が
あって、少しドキドキしてたんです。
結果は良性で (*'-'*)ホッ
ただ、どんな結果が出ても、この旅行は
最初から最後まで笑って過ごすぞっ!
笑い転げるぞ! 笑い死ぬぞ!て、
ホント楽しみにしてた。
実際、ずっと笑ってた気がする。(;・∀・)
けど、それぞれ会ってなかった時の話なんか
聞くと、全員がなんらかの手術してたりして
50って、そういう年齢なんだなと実感。
何年経っても同じように楽しいけど、
身体は同じじゃないんだよね。そう考えると、
こうして元気で会えるんてスゴイことや!
「ありがとう!」って、思わずゆーてまうわ!
( ̄▽ ̄;)(誰に⁉︎)
せやし(?)次の旅行計画して解散しましたよ。
今度はもっと早く会えそうやし、
おばさんの加速は止められへんけど、
次は気づいてもらえるよう、
コンディション整えとこー思います。(^◇^;)
幸せは、習慣の積み重ねが運んでくる
ちょっとした事で、習慣はコロコロ変わります。
最近の私の朝は、トーストとカフェオレ。
ちょっと前はヨーグルトと果物。
その前は、スープ。と、自分のブーム次第。
少し前に、友人が
「ikusan、朝はスープやったやんな!」と
おススメスープを紹介してくれたのだが、
既にブームは変化していたので、そう言うと、
何となく、憤慨したようでした (^◇^;)
せっかく教えたったのにー ( *`ω´)
といった感じなんかな?
ごめんなさいね、飽き性で…(^◇^;)
でも変化が苦手な人って多いよね、私もです。
というか、
生き物なら、本能的に普段との違いを感じると
身構えるものではないか?と、思うのですが…
どうでしょう。
「変化なんてまったく怖ない」という
強者っぽい人もいますが、強がりに違いない!
これはどちらかというと、
考え方の習慣がポジティブなのではないか…。
ついつい、悪い結果を思い描くことは
危険回避のためには、有効な場合もあるけどね。
私なんて、石橋たたきすぎて壊したやん!て
なるくらい、ヘタレなんで(^◇^;)
変化がある時は、身構えるなー。
とはいえ、続けてる習慣があまり良くないものなら、
どんどん変えていけばいいよね。(^^)
他人のことや、過去のことは変えられへんけど
自分のこと、自分の未来は、変えられるんやから。
日々の(自分の)考え方や行動の積み重ねが
自分の人生を作ってくんやから。(^_−)−☆
とりわけ、何気ない日常の中にある習慣は
特に意識せずやってることが多いし、
少し、見直してみると大きく変わるかも。
食べること、寝ること、動くこと、話すこと、
考えること、表現すること、働き方、反応のし方、
時間の使い方、人との接し方とか?
いろいろありますね (^◇^;)
自分の積み重ねる習慣によって
自分と自分の目の前にいる人が、幸せであれば
人生としては100点と違います?(^◇^)